大学のおける大学職員に位置づけとは

 大学において職員をどのように位置づけるかは、古くて新しい問題である。大学職員が所謂「stuff」として大学の管理運営の一翼を担うべきであるといった主張は、早くも昭和37年、名古屋大学の事務局長であった蠟山政道が事務機構の問題点を指摘しつつ、大学の事務を一般行政から切り離すべきだとする文脈のなかでなされている。
 また、昭和40年には、永井道雄がその著書「日本の大学」で事務機構の改革に触れ、「事務職員は・・・(中略)・・・研究、教育、その他高等教育機関の基本的性格について理解を欠くことが少なくない。アメリカでは・・・(中略)・・・すでに専門化されているが・・・(中略)・・・教育行政家は、特別な専門家として取り扱われなければならぬ。法律や財政だけでなく、教育思想史、大学の歴史、科学技術の現状、学生の生活などについて深い知識をもつ専門家として教育を受けたものが、今後の大学の運営を担当しなければならない」と指摘しており、さらに教員と職員の関係について、「このような改革が行われれば、教師と事務職は、分業しながら、しかも対等の立場で協力を深めることができるであろう。・・・(中略)・・・職業内容が充実すれば、事務職員は職場に生きがいを感じ、自由な大学の建設のために大きな役割を果たすに違いない。・・・(中略)・・・私立の大学も、この種の専門家による事務機構の改革をへて、はじめて近代化される」と述べている。しかし戦後ほどなく、こうした主張や提言がなされてきたにもかかわらず、大学改革に関する諸答申においては、事務機構の改革についの提言がなされることはあっても、大学職員についてはほとんど触れられることはなかった。
 こうしたなかで初めて、大学職員について政策提言がなされたのは、2005年1月の中教審答申「我が国の高等教育の将来像」、俗に言う「将来像答申」であった。そこには、「高等教育の質の保証を考える上では、教員個々人の教育・研究能力の向上や事務職員・技術職員等を含めた管理運営や教育・研究支援の充実を図ることも極めて重要である。評価とファカルティ・ディベロップメント(FD)やスタッフ・ディベロップメント(SD)等の自主的な取組との連携方策等も今後の重要な課題である」と提言されただけでなく、加えて、SDとは「事務職員や技術職員など教職員全員を対象とした、管理運営や教育・研究支援までを含めた資質向上のための組織的な取組を指す」と注記されていた。
 さらに近時に至って、2008年の中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」の第3章「2 大学職員の能力開発」では、「大学経営をめぐる課題が高度化・複雑化する中、職員の職能開発(スタッフ・ディベロップメント)はますます重要となってきている」と指摘したうえで、SDの定義については、将来像答申の「教職員全員」から「事務職員や技術職員など職員」と限定し、さらに一歩前進した「FDと区別し,職員の職能開発の活動に限定してSDの語を用い」るといった注釈が付されている。
 こうしたSD活動を通じた政策提言がなされる過程で、職員の意識改革やその専門職化が注目されるようになったばかりか、わが国における大学改革のモデルであるアメリカの大学の「アドミニストレーター」を念頭に置いた、「アドミニストレーター論」や「大学経営人材論」が展開されるようになったことは周知のとおりである。
 その後、こうした議論を背景に、大学職員に特化した高度専門職養成大学院が創設されたり、アメリカの職能団体を模した「大学行政管理学会」が設立されて、大学職員のありようをめぐる「大学職員論」がさかんに議論されるようになったが、現在に至るも、わが国の大学職員を的確に表現できるようなtermは見つかっていない。
 また、先に永井道雄が指摘しているとおり、大学職員のあり方についての問題の所在は、①大学職員の専門職化をどうとらえるか ②教員と職員との協働をどうはかるか、と言った問題に集約されはするものの、こちらも依然として未解決のままである。
 振り返ってみれば、我が国の大学改革の強い後押しとなったのは、経済財政諮問会議構造改革議論のなかから生まれた「大学の構造改革の方針」であり、これは、規制緩和により高等教育のマーケットの競争力を強化し、大学に民間の経営手法を導入することにより、国立大学(特に旧帝大)への資金の集中的配分と私立大学の淘汰を狙ったものに他ならない。
 かたやアメリカでは、高等教育の機能分化が図られているだけでなく、戦後、Higher Education for Allの標語のもと、アメリカ国民のすべてが、少なくとも高等学校卒業後に2年間の高等教育を受けられるようにとの政策提言うけ、これを実現すべく、2年制大学であるcommunity collegeを活用した高等教育大衆化とあわせ、この2年制システムが高等教育を受けるに値する学生の自然淘汰(cooling out)にも利用され、今やアメリカの大学は、高等教育のグローバルスタンダードとなっている。
 また、ヨーロッパにおいては、1987年のエラスムス計画に端を発し、ソクラテス計画、EU生涯学習計画へと展開しつつ、学生・教職員の交流をつうじてヨーロッパ各大学間の連携強化だけでなく、学位(degree)の標準化もはかられつつある。
 これに対しわが国の高等教育市場は、18歳人口の減少、将来を展望した高等教育政策の欠如、経済の低迷による財政的影響など、まったく閉塞状況のなかにある。こうしたなかで、わが国の大学が世界の大学に伍するためには、どうしたらよいか。国による確固とした高等教育政策がないまま無批判に、弱肉強食の競争原理であるとか、民間的な手法だとして小手先のマネジメントやリーダーシップを導入してよいものなのだろうか。
 高等教育の液状化現象がますます進みマーケットが縮小してゆくなか、いま解決すべき重要なことは、確固たる政策を背景に、個別大学の職員が担当部署でどう仕事をなすべきかというミクロなことよりもむしろ、今後、わが国の高等教育を担う大学職員がどうあるべきか、というマクロな問題の方であろう。
 そうした観点からアプローチすることで、これまで解決できなかった「大学職員の専門職化」や、これを前提にした「教員と職員の協働」といった問題の解決へさらに一歩近づくことができるだけでなく、永井の主張した「自由な大学」の建設に大学職員が寄与できるようになるのではなかろうか。

大学職員論再考 ―アメリカとわが国の学位のとらえ方の違いー

 近年、大学において教員の仕事とされてきた管理運営業務を、職員が担当する場面が増えている。その背景には、大学の大衆化が進むなか、従来の研究業績もさることながら、教員の教育力が問われるようになり、大学行政にかかわっている時間的余裕がなくなったという事情が存在する。このような状況を捉え、総論として、教員は教育研究に、職員は管理運営に、それぞれ専念するという「役割分担論」は非常に合理的であり歓迎されているものの、その一方で教員側からは、自分たちが担当してきた管理運営業務を職員に委ねるには、少なくとも教員に準じた基礎資格くらいは所持すべきではないのか、との指摘もある。すなわちその基礎資格とは、担当業務に関する専門知識の証ともいえる「学位」が必要だということである。もっとも大学で管理運営を担当してきた教員が、皆その担当業務に精通し、専門的な知識を持っていたかといえば、いささか疑問の余地は残るが、ここではその問題はひとまず置くことにする。
 こうした文脈のかなで、アメリカのアドミニストレーターを念頭に置きつつ、「専門性」を持った職員の必要性がさまざまなかたちで議論されるようになったのは、ご存知のとおりである。私学団体もこの職員の専門性に注目し、年齢階層別に、アドミニストレーター養成の研修を実施しはじめている。この動きにさらに拍車をかけたのが、アメリカのプロフェッショナルスクールをモデルにして、専門職業人の養成を目指した高度専門職養成大学院制度の発足である。平成18年度現在すでに、専門職としての大学職員を養成すべく大学院のマスターコースが、東大を始めいくつかの大学に設置されている。
 このように現実はすでに動き出してはいるものの、これら「専門性」を持った職員とはどのような者たちを指すのか、そのモデルは明確でない。まして、専門性についてのコンセンサスさえないところで、これらの者をアドミニストレーターや大学経営人材、行政管理職員などと安易に呼ぶことは、かえって職員の専門性のありかたに混乱を来たすことにならないだろうか。
 そこでアメリカの大学における専門性を持った職員のあり方がどのようになっているかと言えば、その基礎資格は学位を中心に組み立てられている。言い換えれば、専門性の証となる学位を所持することが、特定の職種へ就職する前提となっているのである。それ故に、アメリカでは常にDiploma Mill(ニセ学位)が問題となる土壌が常に存在している。例えば、高等教育の業界紙ともいえるアメリカの「Chronicle of Higher Education」の求人欄を見ると、採用の要件として必要とされる専門学位とそれに関連する業務経験が必ず明記されている。すなわち、アメリカにおいては、まず専門的な学位が採用の最低条件として存在し、そのうえでこれまでの業務経験が評価されているのである。言わば、学位とキャリアが密接不可分となっており、学位で証明された自己の専門性を、個別の大学においてどのように機能させるかが問われているといってよい。専門性の基礎のうえに、当該大学で必要とされるスキルが付加されると言い換えてもいい。
 これに対し、わが国における大学職員の専門性というとき、それは国家資格のようなものを所持するごく限られた者の専門性か、もしくは単に業務のベテランを指し示していることが多く、学位と直結するような意味での専門性が存在しているわけではない。ここに、アメリカとの比較において、職員の専門性を論じる場合、おおきなズレが存在する。
 わが国では、大学ばかりでなく社会一般に、科学技術に関するアカデミックな学位はともかくとして、実務的な学位はアメリカのように評価されてはいない傾向にある。このことは、企業内におけるMBA取得者の評価をみても明らかなことである。すなわち、わが国では、実務的な能力は学位によらず、企業内の研修などでスキルアップすることが前提となっており、その達成度によって評価されるからである。そこには共通する専門用語によって、学位で保障される専門性を基礎に、各職場風土にあわせ必要とされるスキルを付加するといった発想はない。あるのは、個別的なスキルをさみだれ式、必要に応じて身につけるといった、よい意味で効率的な、悪い言い方をするとパッチワーク的な発想である。
 このように職員の「専門性」の捉え方の一端だけでも、わが国とアメリカとでは異なっている。従って、今盛んに論じられている大学職員の「専門性」のあり方についても、その違いを充分に理解することなく一律に「専門性」として論じてしまうと、「One fits for all」となってしまう恐れがある。今後の職員論を展開してゆくうえで、いたずらに迷路に迷い込んでいかないためにも、今一度慎重な内容の検証が必要ではないのだろうか。

SDと大学職員の専門性 −SDは専門性を涵養するのか

 大綱化以来、大学改革が急速に進展することになったが、その改革モデルはご存知のようにアメリカの大学制度を範(グローバルモデル)にしたものであった。例としては、大学のミッションを始めとして、シラバス、授業評価、F.D.、G.P.A.などなど枚挙に暇がない。SDもまた、この文脈のなかで、広く職員の能力開発という意味で使われてきた。
 そして、従前の職員の地位向上運動から脱皮し、このSDをひとつのマジックワードとして、各種研修や高度専門職を養成する大学院教育がなされ、所謂、教員と協働できるアドミニストレーター、大学経営人材、プロフェッショナルな職員といった者たちの出現が期待されてきたところである。
 また近時、こうした職員を養成するプログラムが組織の壁を越え、すでに実施されようとしている。しかしその一方で、大綱化以来20年近くを経て、大学職員はどのように変化したのであろうか。大学はSDをとおしてどのような職員像を期待しているのか。各国の大学職員のありようといった専門的な各論の展開はすでに充分になされているが、こうした素朴な疑問にたいするフィードバックは、一部の研究をとおして以外にほとんどなされていない。
 したがってここでは、あえて無意味と思われるような総論的な素朴な疑問をとおし、SDと大学職員の専門性について考えてみたい。そうすることで、理念的な総論と実践的な各論との矛盾点の議論を契機に相互補完がなされ、今後の問題解決への新たなる第一歩を踏み出せると思うからである。


問題の所在


SDとはいったいどんな職員の能力開発をめざしているのか?

組織の壁を越えた大学職員の能力開発への試みもなされているが、基本的には組織の規模や風土によってSDの捉え方は著しく異なっている。また、こうした試みと大学院教育との関係をどうとらえたらいいのか。すなわち、SDは所属する組織を介在して行なわれるべきなのか、それともこれとは無関係に個人ベースでなされなければならないのか。この問題は今後生じる大学職員のモビリティとも深く関わっている。いわば、終身雇用を念頭におく組織に縛られたローカルな職員が必要なのか、モビリティを前提としたグローバルな職員が必要なのかといった問題に置き換えていい。


SDの位置づけは果たして正しいのだろうか。

FDが導入された裏返しとしてSDが現在評価されているのだとすれば、それは正しいあり方ではないだろう。従来なされてきた職員の地位向上運動の延長線上で、現在のSDが発想され実践されているとすれば、SDをとおして達成する職員の専門職化とはまさに、職員の教員化と同義であるとの非難を免れ得ない。
望むべくは、SDを大学という呪縛から開放し、世間で通用する能力開発と同義に考える発想の転換がなされることである。もはやSDは職員の地位向上運動などではなく、能力開発であると認識すべきである。とはいえ、すべての大学が歴史の展開のごとく一律に、、歩調を合わせ改革できないうらみは、依然として存在する。


SDによって職員の専門性が涵養されるだろうか

 これまで実施されてきたSDによって、大学職員の専門性が涵養されてきたのだろうか。大綱化からほぼ20年を経た現在、さまざまな提言こそなされているが、確固たるエビデンスに裏打ちされた報告はまだなされていない。また、専門性という観点に注目するなら、すべての職員に専門性が問われているかとの疑問もある。仮にそうであるとすれば、職員の専門性をどのようなものと捉えるべきなのか。アドミニストレーター、大学経営人材、プロフェッショナルな職員といった言葉が先行し、共通認識への具体的な検討がほとんどなされていないのが現状ではないのだろうか。


SDによって涵養される職員の専門性とは(私見

 SDによって涵養される職員の専門性を一義的に捉えることは困難である。すなわち、専門性そのものを伝統的な職業類型である法律家や医師、大学教員といった有資格者と同義に捉えてはならない。むしろ専門性を自己のコア・コンピタンスをどう高めるかという観点から捉えなおし、たとえ公認の資格やディシプリンを証明するようなもの(たとえば学位)を有せずとも、「自己の強み(専門性)を所属する組織をとおして発揮し、組織や社会に貢献することで自己実現すること」と捉えれば、この目標を大学職員一般がめざす専門性ととらえることも可能であろう。従来の専門性の捉え方には、ごく一部の(選ばれた)職員を対象にした嫌いがあったようにも思われる。したがってこのように捉え直すことによって、職員の専門性へのアプローチが、より身近なものになるのではなかろうか。

大学職員の二局化とSDのあり方

 一般に、グローバル化によって諸機能の集中と分散が進み、二極化が進行すると言われている。大学職員の場合も例外ではい。今後、組織の意思決定に関わる所謂ガバナンスやマネジメントを構成する層と、決定された事柄を、「手足」となって手順に従い実行する者たちとの区別が、ますます明確化することが予想される。大学の現場で、派遣職員が増えているのはその一例と言えよう。
 従って、大学職員の諸問題について論じる場合、いずれの層を念頭の置くのかを常に意識する必要がある。特に職員の専門性や市場でのモビリティを議論するとき、両者の区別のないところでは混乱が生ずるばかりである。
 SDについても同様のことが言える。大学職員全体をとらえ、その能力の底上げを狙いとしているのであれば、「広く、浅く、門戸を広げる」必要があろうし、意思決定にかかわる層を対象にするのであれば、「より狭く、深く、門戸は狭められ」なくてはならない。すなわち、SDは今後、階層分化していくことが求められているのである。
 これまでの「一般」研修制度のように、すべての者を対象にした汎用プログラムでは、情報交換はできたとしても、能力開発といった効果を十分に発揮することはできないだろう。その意味で、今後、諸団体や各大学で実施されるSD設計の動向に注目したい。

教職の分業を前提とした大学職員の専門性について

   教育組織と事務組織は大学における車の両輪であると言われながらも、その両者は従来、ある意味で主と従の関係にあった。これは所謂、「大学職員は縁の下の力持ち」といった発言に代表されるような状況だと言ってよい。しかし、近時、大学職員の置かれた状況を振り返ってみると、高等教育の質を保障する観点からFD・SDの重要性を指摘した中教審の「将来像答申」(平成17年1月)にはじまり、直近の中教審答申「学士課程教育の構築」(平成20年12月)では、「大学経営をめぐる課題が高度化・複雑化する中、職員の能力開発(スタッフ・ディロップメント)はますます重要になってきている」ことを指摘したうえで、SDという表現を、あえて「職員」の職能開発に限定して使うまでに至っている。
  こうした背景のもと、大学職員の地位向上をめざした組織的運動(FMIX)から、大学職員の専門性へとシフトした大学行政管理学会の設立、そしてアメリカの大学におけるアドミニストレーターを念頭に置いた専門大学院の出現や特定地域の大学職員が組織的に共同開発した高等教育のプロフェッショナル養成を目指したプログラム「SPOD−SD」など、時代は大きくパラダイムシフトしていると言っても過言ではない。すでに多くの大規模総合大学では、「何でも屋」のジェネラリストではなく、問題解決できるプロフェッショナルとしての大学職員の養成に知恵を砕いており、そこではむしろ競争より「専門性」に重点が置かれている。この点が利益を追求する民間企業との大きな違いであろう。
  振り返れば、永井道夫は60年代半ばすでに、大学職員は「・・・特別な専門家として取り扱わなくてはならない。・・・(中略)・・・法律や財政だけではなく、教育思想史、大学の歴史、科学技術の現状、学生の生活などについて深い知識を持つ専門家として教育を受けたものが、今後の大学運営を担当しなければならない」と指摘している。すなわち、こうした教・職の分業を経て、初めて両者の協働が実現するのであり、そのためには事務組織の改革が必要だと強く主張しているのである。
  それからはや45年。大学の事務組織と大学職員のありかたはどう変化したのだろうか?知識基盤社会と言われる今世紀、知の拠点として生き残れるかどうかは、まさしくこれを実現できるかどうかにかかっている。

安心と自由の葛藤

 近ごろ物騒な事件が多発している。いわゆる「誰でもよかった」という言葉で象徴されるような無差別殺傷事件である。新聞報道によると今年(平成20年)はすでに、この種の犯罪事件が昨年の倍にあたる8件も発生しているという。事件発生のたびにマスコミは、同じような手法で番組を編集し、それらの共通点を探したうえで、結局、「誰でもよかった」というキーワードをつくりあげてしまった。しかし本当に、彼らは口をそろえて「誰でもよかった」と言ったのだろうか。ことによると、「誰でもよかった」とは、見ず知らずの第三者が象徴する社会という得体の知れない権力に対する反逆ではなかったのだろうか。マスコミを含めた権力の側からは、常に本人の自己責任が追求されることはあっても、社会システムの本質的欠陥について論じるような視点はほとんど提供されることはない。
 東京で都市化が急激に進行し始めたのは東京オリンピックの開かれた1964年前後のことだ。まだまだ武蔵野の面影を残していた近郊の土地が次々と開発され、そこにはニュータウンが造成された。これにともなって新しい駅ができ、通勤のためのバスが開通し、買い物の便宜にとマーケットが次々に開店した。そして故郷のムラを離れた若者たちが、ここで核家族として生活するようになったのである。
 このニュータウンの開発によって、これまであった既存のムラ共同体はすっかり機能不全に陥ってしまった。まったく皮肉なこととは言えその原因は、都市の労働力として故郷のムラを捨てた若者たちが、次々に「他者の規範」を持ってムラへ流入してきたからであった。当時の様子を、「田舎のいやらしさはクモの巣のようで、おせっかいのベタベタ、息がつまりそう」そして、ムラの人間関係を指して「義理と人情の蟻地獄」、だから自由を求めて町へ出たと歌ったのは、70年代のフォークシンガー岡林信康であった。しかし、出てきた町はどうだったのだろうか。彼は続けてこう歌う。「町の味気なさは砂漠のよう、・・・ニヒリズム無人島・・・俺らいちぬけた」。結局、歌のなかで彼は、「命あるものの流れに沿って、今夜町を出よう」と締めくくる。
 我々はもともとムラという暖かいコミュニティで暮らしていた。そこはリラックスして安心できる場所であった。誰もがお互いを理解しており、相手の善意を期待できた。倒れたら、誰かが手を貸してくれたし、困窮したときは、何の見返りも求めず苦境から救ってくれた。いわば信頼でつながった相互扶助が十分に機能していたと言ってよい。
 しかし、都市化が進み、ヒトの移動が容易になり、ライフスタイルに変化が生じ始めると、途端にこの無条件な相互扶助が機能しなくなってしまった。口約束は契約書となり、借金には担保が必要となった。そして信頼に基づくこれまでの相互扶助は、「公的」な扶助制度というシステムに取って変わってしまったのである。その一方で、故郷のムラを離れたものの、新たなコミュニティにも馴染めない若者たちは、一体どうなってしまったのだろうか。岡林の歌にあるように町を出て、また故郷へ戻って行ったのだろうか。決してそんなことはなかった。
 戦後の高度成長期、企業にとって確かな労働力である若者たちは、貴重な存在であった。そしてこの労働力を確保するため企業は、擬似ムラ共同体としての中間団体を利用した。すなわち、企業と個人との間に「緩衝装置」としての中間団体を巧みに組み込むことで、労働者間の信頼関係を構築し、これを愛社精神に転化することで、企業自身の生産性の向上を図ろうとしたのである。
 このシステムは実によく機能した。リクリエーションや組合運動などの諸活動を通して労働者間の信頼が醸成されたばかりでなく、これによってできた「つながり」が、所属する企業の生産活動に貢献する仕掛けになっていたからである。不思議なことにこのシステムそのものは、ムラ共同体と同様に、自己の安心を得るのと引き換えに自由を犠牲にしなければならなかったはずなのだが、企業と個人との緩衝装置として機能したこの中間団体に、彼ら労働者は“それ”を感じとることができなかった。
 しかし昨今、こうした企業に組み込まれた中間団体が機能不全を起こし始めた。その理由のひとつは、「私」第一主義とでもいう個人の生活を重視する考え方の台頭である。この個人の自由な生き方を肯定し、個人を大切にする風潮は、組織への帰属意識や社会への参加意欲を低下させ、脱社会、脱組織的な傾向を強めることになった。これにより、個人的な生活の充実が図られる一方で、個人は緩衝装置のないままで、企業という営利をむき出しにした組織と直接対峙することになってしまったのである。ここに、もはや個人ではとうてい解決不可能な強者と弱者の明確な対立構造が出現した。
 では、このどうしようもない対立構造のなかで、個人と組織がどう向き合ったらいいのだろうか。この問題は個人が生活していくうえで、安心と自由をどうバランスさせていくかに大きく係わっている。すなわち、我々を守り包み込んでくれた暖かな場所であるムラ共同体というコミュニティから一度出てしまった以上、自由という通貨を支払っても安心を得るべきなのか、それとも自己の安心を犠牲にしても自由の獲得を目指すべきなのか、この解決できない問題を永遠に考え続けなければならなくなったのである。こう考えたとき、先の「誰でもよかった」と無差別殺傷事件を起こした彼らは、自己の安心など考えず自由に飛びつきはしたものの、その自由を奪う得体の知れない大きな力に押し潰されてしまったと言ってよいのかも知れない。

第三者評価を機能させるためには何が必要なのか

 まず評価を機能させる大前提として、各大学が自らのミッションを明確に設定する必要があろう。わが国の大学において、このミッションに相当する建学の精神は、設置された当時の時代背景を体現してはいるものの、もはや象徴的な意味しか持たず形骸化してしまっている。このように、大学においてミッションがほとんど顧みられなかったのその理由は、まさに大学がこれまで、教育よりも研究に重点を置いてきた左証に他ならない。
 では、現在の大学改革のモデルとなっているアメリカの大学の例を見てみよう。例えばハーバード大学の場合、ミッションステートメントの冒頭には、チャーターされた当時(1650年)の目的が掲げられ、続いてその目的を現代に即し、どのように具体化するかが述べられている。イギリスのケンブリッジ大学やオックスフォード大学でも同様の形式である。
 一方、わが国の大学の建学の精神は、寄付行為に設立の経緯や抽象的綱領があっても、それをどう実現するのかといった具体策にはほとんど触れられていない。大学基準協会へ提出する自己点検・評価報告書にしても、評価項目の冒頭にあり、必要不可欠なA群に属する「大学の理念・目的」は実にうまく書かれているが、評価項目の採用が大学にまかされているC群の「理念・目的の検証」や「健全性・モラル等」になると、ほとんど言及されていない。しかしこの部分こそが、抽象的な建学の精神を実現すべくその具体策を検証する、評価制度の真髄である。評価はさまざまな点検・評価項目から成っているが、それらを最終的に統合するのは、まさに大学の使命・目的をあらわすミッションに他ならない。マルチバシティーと言われ、大学の多機能化が進むなか、大学自らが自己のアイデンティティーを見失わないためには、まずしっかりとしたミッションの確定とそれを実現すべく具体策の提示が求められている。
 次に重要となるのは評価員の確保であろう。現行のシステムでは、ピアレビューを建前としながらも、評価機関は文科省が認証した「認証評価機関」でなければならない。従って、どのように評価員を選任し養成するかは緊急かつ重要な問題である。私立大学協会の試算では、加盟約350大学を対象に7年に1度のサイクルで年間に約50大学を訪問評価すると、1チーム5人構成で、延べで250人の評価員が必要になるという。その構成員には大学の経営陣、教員のほか、弁護士、会計士といった民間からの参加も当然期待されるため、これらの評価員を短期間に効率よく養成するプログラムが不可欠となる。すでに大学基準協会では、ニューイングランド基準協会(NEASC)を参考にワークショップの研究を進めていると聞く。これまで同業者を「評価」するという土壌のないわが国の大学で、主観を排除し公正な評価をするためには、徹底した評価者の訓練だけでなく、評価が適切かつスムーズに進行するよう、大学に対しても機関トレーニングの実施が望まれよう。その対象には、学長、副学長などいわゆる執行部のほかに、ALOも含まれる。ALOとはアクレディテーション・リエゾン・オフィサーの略であり、大学において学内の取りまとめや認証評価機関との交渉にあたる役回りである。日本では短期大学基準協会がこれを「第三者評価連絡調整責任者」と訳し、その設置を義務づけている。今後、他の認証評価機関でも、ALO設置の制度化が急がれるところである。


評価を受ける基盤づくりの必要性

 学校教育法の改正によって、04年から第三者評価を受けることが義務づけられた。しかし、評価員の人材確保の問題をはじめ、運営体制、財政的措置など、問題は山積している。評価制度が動き始めたとはいえ、まだ一部の大学---特に私立大学側からは、「私学の独自性が侵される」、「学問の自由への侵害である」など、さまざまな不満の声が聞こえてくる。明治の近代大学成立以降、まったく「評価」を経験しなかった大学にとっては、無理からぬことかも知れない。しかし、導入が決まった以上、これを有効に機能させその結果を公表することは、大学の社会に対する説明責任でもある。文科省は、99年までに90%以上の大学が自己点検・評価を実施し、うち70%がその結果を公開し、制度として定着していると発表しているが、その実、「読まない電話帳」と揶揄され、大方の評価は内容が薄いというものである。その理由は大学側で、報告書を完成すること自体が目的化してしまい、「大学の教育・研究の維持・向上を目標に分析し、将来へ向けて力強く前進するための手段」という観点がすっかり欠落してしまっているからである。再び同じ轍を踏まないためにも、それぞれ個性のある大学を「定性的」に評価し、その強みを伸ばし、その弱みを指摘し、改善のアドバイスをすることが本来の評価の持つ意味・目的であることを十分認識すべきである。この点を理解せず、文科省への提出義務や評価結果の公表のためにだけ報告書を作文したのでは、第三者評価は大学の発展に何も寄与しないとの評価を受けることになってしまうだろう。