第三者評価を機能させるためには何が必要なのか

 まず評価を機能させる大前提として、各大学が自らのミッションを明確に設定する必要があろう。わが国の大学において、このミッションに相当する建学の精神は、設置された当時の時代背景を体現してはいるものの、もはや象徴的な意味しか持たず形骸化してしまっている。このように、大学においてミッションがほとんど顧みられなかったのその理由は、まさに大学がこれまで、教育よりも研究に重点を置いてきた左証に他ならない。
 では、現在の大学改革のモデルとなっているアメリカの大学の例を見てみよう。例えばハーバード大学の場合、ミッションステートメントの冒頭には、チャーターされた当時(1650年)の目的が掲げられ、続いてその目的を現代に即し、どのように具体化するかが述べられている。イギリスのケンブリッジ大学やオックスフォード大学でも同様の形式である。
 一方、わが国の大学の建学の精神は、寄付行為に設立の経緯や抽象的綱領があっても、それをどう実現するのかといった具体策にはほとんど触れられていない。大学基準協会へ提出する自己点検・評価報告書にしても、評価項目の冒頭にあり、必要不可欠なA群に属する「大学の理念・目的」は実にうまく書かれているが、評価項目の採用が大学にまかされているC群の「理念・目的の検証」や「健全性・モラル等」になると、ほとんど言及されていない。しかしこの部分こそが、抽象的な建学の精神を実現すべくその具体策を検証する、評価制度の真髄である。評価はさまざまな点検・評価項目から成っているが、それらを最終的に統合するのは、まさに大学の使命・目的をあらわすミッションに他ならない。マルチバシティーと言われ、大学の多機能化が進むなか、大学自らが自己のアイデンティティーを見失わないためには、まずしっかりとしたミッションの確定とそれを実現すべく具体策の提示が求められている。
 次に重要となるのは評価員の確保であろう。現行のシステムでは、ピアレビューを建前としながらも、評価機関は文科省が認証した「認証評価機関」でなければならない。従って、どのように評価員を選任し養成するかは緊急かつ重要な問題である。私立大学協会の試算では、加盟約350大学を対象に7年に1度のサイクルで年間に約50大学を訪問評価すると、1チーム5人構成で、延べで250人の評価員が必要になるという。その構成員には大学の経営陣、教員のほか、弁護士、会計士といった民間からの参加も当然期待されるため、これらの評価員を短期間に効率よく養成するプログラムが不可欠となる。すでに大学基準協会では、ニューイングランド基準協会(NEASC)を参考にワークショップの研究を進めていると聞く。これまで同業者を「評価」するという土壌のないわが国の大学で、主観を排除し公正な評価をするためには、徹底した評価者の訓練だけでなく、評価が適切かつスムーズに進行するよう、大学に対しても機関トレーニングの実施が望まれよう。その対象には、学長、副学長などいわゆる執行部のほかに、ALOも含まれる。ALOとはアクレディテーション・リエゾン・オフィサーの略であり、大学において学内の取りまとめや認証評価機関との交渉にあたる役回りである。日本では短期大学基準協会がこれを「第三者評価連絡調整責任者」と訳し、その設置を義務づけている。今後、他の認証評価機関でも、ALO設置の制度化が急がれるところである。


評価を受ける基盤づくりの必要性

 学校教育法の改正によって、04年から第三者評価を受けることが義務づけられた。しかし、評価員の人材確保の問題をはじめ、運営体制、財政的措置など、問題は山積している。評価制度が動き始めたとはいえ、まだ一部の大学---特に私立大学側からは、「私学の独自性が侵される」、「学問の自由への侵害である」など、さまざまな不満の声が聞こえてくる。明治の近代大学成立以降、まったく「評価」を経験しなかった大学にとっては、無理からぬことかも知れない。しかし、導入が決まった以上、これを有効に機能させその結果を公表することは、大学の社会に対する説明責任でもある。文科省は、99年までに90%以上の大学が自己点検・評価を実施し、うち70%がその結果を公開し、制度として定着していると発表しているが、その実、「読まない電話帳」と揶揄され、大方の評価は内容が薄いというものである。その理由は大学側で、報告書を完成すること自体が目的化してしまい、「大学の教育・研究の維持・向上を目標に分析し、将来へ向けて力強く前進するための手段」という観点がすっかり欠落してしまっているからである。再び同じ轍を踏まないためにも、それぞれ個性のある大学を「定性的」に評価し、その強みを伸ばし、その弱みを指摘し、改善のアドバイスをすることが本来の評価の持つ意味・目的であることを十分認識すべきである。この点を理解せず、文科省への提出義務や評価結果の公表のためにだけ報告書を作文したのでは、第三者評価は大学の発展に何も寄与しないとの評価を受けることになってしまうだろう。