家族内暴力(DV)にはどのような対策がなされているのか

DVとは何なのか

 私的領域である家族のうちには、権力と支配といった権力構造がもともと組み込まれており、それを支えているものは、法律さえも予定していなかった非合理的な関係性である。この親密さともいえる関係の対称に位置するのが家庭内における暴力の存在と言える。近ごろますます多様化する家庭内の暴力をとおして我々が考えなければならないことは、家族という関係性のなかに、普遍の原理と言われている人権をどのように根付かせるかという問題である。そこで以下、家庭内における暴力、特にドメスティック・バイオレンス(以下「DV」という)について考えてみたい。
 ではまず、DVとはいったい何なのだろうか。英語のDomestic Violenceを直訳すると、「家庭内暴力」である。その内容は、「夫や恋人など親密な関係にある男性から女性への暴力」である。男性が女性に対し権力や支配力を行使する暴力と言ってもよい。これには殴る、蹴るといった身体的暴力ばかりでなく、言葉や態度による精神的暴力、社会から孤立させる社会的暴力、その他に経済的暴力、性的暴力なども含まれる。
 歴史的にみると、男性が女性を支配する特権が長いあいだ認められてきた。ローマ法では、妻は家畜と同じように夫の所有物とみなされ、英米法の基礎となったコモン・ローでも、夫の親指より細い棒であれば妻をたたく権利が夫に認められていた。(親指のルール)。
時を経て、現在のDVへの先駆的役割を果たしたのは、ほかでもなく、アメリカで1970年代に行われた女性解放運動だと言われている。当時のアメリカでは、親密な関係にある男女間の暴力は個人的な問題であるとされ、これを社会問題や人権問題として意識することはなかった。しかしDVを受けた女性に対し、女性解放運動家たちがシェルターを提供したことから、運動は全米に広まり、1990年には「DVは女性の基本的人権を脅かす重大な犯罪である」とされただけでなく、1994年には「女性に対する暴力防止法」(Violence Against Act)が成立。これ以降DV対策は急激に進行しすることになった。


米国のDVの現状

 アメリカにおけるDVの現状をみると、15秒にひとり、年間では200万人以上がDVの被害を受けており、命を失う者が1日に11人いるという恐るべき報告もなされている。先に触れたように、米国でも70年代には被害女性を対象としたシェルターが提供されてはいたものの、これによってDVが減少することはなかった。1980年代に入り、DV被害者やその遺族が警察の対応をめぐって訴訟を提起。警察側がこれに敗訴したことによって、DV加害者を対象とした非暴力プログラムが作られるようになった。
 米国でDV事件として有名なのは、プロフットボール選手であるOJシンプソンの前妻とその友人が殺害された事案である。事実、シンプソンはDVを繰り返しており、前妻は何度も警察に通報していただけでなく、シェルターとも連絡をとっていたことが明らかとなった。これによりシンプソンは逮捕されカウンセリングを命じられるとともに、「DVは貧困層や教育レベルの低い人々のあいだで起こる」という先入観が払拭されることになった。 
さらに当時の米国大統領クリントンもDVの家庭で育った経験を持っていたことから、急速な法整備行われ、1994年には連邦法で「女性への暴力防止法」が制定されるに至った。
 そこで参考までに州レベルの立法であるマサチューセッツ州の虐待防止法を見ると、①拘束命令 ②接触禁止命令 ③立ち退き命令 ④一時的養育費支払義務 ⑤一時的生活扶助義務 ⑥補償金支払義務 ⑦被害者の住所秘匿 ⑧子供の対する保護命令 ⑨再教育プログラム、といったものが予定されており、これらに反すると法定侮辱罪として刑罰を受けることになる。その刑罰には、①5,000万ドルの罰金あるいは2年以下の懲役 ②再教育プログラムへの出席 ③アルコール、薬物中毒回復プログラムへの参加 ④被害者に対する罰金、といったものがある。
 また警察の権限として、①虐待現場または危険な状況が予定される場合はその場にとどまることができる ②被害者を病院またはシェルターなど安全なところに保護すべく送り届ける ③法的措置をとる権利があることを被害者へ知らせる ④被害者に虐待者は保釈金または一時的な拘留後に保釈されることがあることを説明する ⑤保護命令を犯した場合の逮捕 ⑥緊急保護命令を裁判所にかわって発令することが認められている。
 こういったDVへの対策にもかかわらず、米国におけるDVの発生件数は減少していない。そこで、DVに対する事前教育の必要性が提唱され、学校教育では「未然防止策」をカリキュラムに採用したり、公務員研修トレーニングでも実施し始めている。


なぜDVが起こるのか

 ではDVはなぜ起こるのだろうか。一説には、確かに個人的要因や成育史、性格や行動特性によるところが多いのも事実だが、その背景には「権力と支配」、「男らしさ」といった社会構造的問題が存在する。すなわち、男性は子供のときから「男さしさ」が求められ、無意識にそれに応えようとする「社会病理的現象」が見られるのである。特に、男尊女卑の強い社会(アジアなど)ではDVが蔓延していると聞く。また「男の無駄口」が歓迎されない風潮があるように、概して男性は自己の感情を表したコミュニケーションが苦手である。そのため、同じ目線で話し合うことができず、常に威圧的な関係を維持しようと努めるのである。以下に加害男性の共通点を挙げてみる。①トラブルの責任を被害女性に転嫁する ②相手の自立性を否定する傾向がある ③相手に妻であると同時に母親の役目もさせる ④妻の役割と行動への期待が大きく、妥協しない ⑤相手が自分に魅力を感じているだけでなく、必要とされていると信じている ⑥親密な関係が築けない。
 このようにDVは年齢、学歴、職業、収入、民族といった要素とは無関係に、どんな社会的地位・環境でも発生する。それは先に触れたように、男性が社会化によって学習してきた「男さしさ」に起因しており、理屈抜きに暴力によって女性を従わせようとすることが、すなわちDVなのである。また、虐待する男性は二面性を持っていることが多いと言われる。世間では人望の厚い紳士であるが、家庭内では暴君であるなど、家庭の外側からDVがよく見えないことが虐待の発見を遅らせることにもなっている。
 DVを受けた経験のある女性の多くは、教育程度の高く、経済的にも恵まれており、性格も明朗で活発であるとする調査がある。したがって、世間で言われている「暴力を受ける女性は少数であるとか、マゾヒストであるとか、貧困層のみで発生するとか、教育程度が低いとか、人格的・性格的に欠陥があるとか、いつでも逃げ出せるのに逃げ出さない」といった俗説はみな誤りである。いわば、DVはどんな女性にもふりかかる可能性があるということだ。ではなぜ、虐待される環境から逃れられなくなってしまうのであろうか。それは、動物が繰り返し強い刺激を与えられると、次第に抵抗しなくなり、最後にはじっとしたまま動かなくなってしまうのと同じだと言ってよい。女性も繰り返し暴力を受ける環境に置かれ受身になってしまうことで自己評価がさがり、加害者の行為の責任は自分にあると考えたり、今の苦境を解決できるのは自分自身でしかないという心理状態に陥ってしまい、結局は暴力の連鎖から抜け出せなくなってしまうのである。さらに暴力は常に行われておらず、緊張が高まる第1期(緊張の蓄積)、爆発と暴力の起こる第2期(爆発期)、穏やかで愛情が示される第3期(ハネムーン期)がひとつのサイクルとなって繰り返えされる。そして第3期では、加害者も反省し、暴力をふるわないことを約束したりするために、女性は相手を許してしまいがちとなる。これもDVの発見を遅らせる原因のひとつである。
 またDVは子供たちにも大きな影響を与えると言われている。父親から母親への暴力だけでなく、姑から嫁へ、兄弟姉妹間の暴力現場を目撃することで、心に傷(トラウマ)が残る。これがすなわち、暴力が蔓延する家庭で育った男性の半数がDV加害者予備軍であり、女性の半数がDV被害者となり得る可能性があるとする所以である。これを世代間連鎖という。アメリカには加害者対策として「ダイバージョン・プログラム」(刑罰代替プログラム)が用意されているが、これに参加した男性の75%がその成長過程で暴力を体験していたと報告されている。こういった世代間連鎖を打ち切るためには、被害者救済策も必要であるが、加害者対策として加害者更正プログラムの充実、加害者への罰則・更正義務を規定する法的整備、また未然防止策として、学校教育カリキュラムにDVに関する教育を導入することが必要であろう。



DVの加害者更正プログラム・法的整備

 DVの加害者に対し課せられるプログラムとして、米国の例を見ると、カリフォルニア州では加害者を対象に、52週にわたる加害者更正プログラムの受講が義務付けられている。その内容は男女のファシリテーター置いたグループで、加害者である参加者たちが、暴力とは何か、男らしさとはなにか、自己の暴力的態度について、また自分を表現したり、怒りをコントロールする方法などを学ぶのである。グループで語り、痛みを共有することでお互いに心を開き、自己改善につながっていく。いうならば、女性との関係をうまく構築できない加害者は、自己の暴力的態度には気づかず暴力を繰り返しているのである。この暴力の連鎖のなかでにいる加害者を救済しない限り、DVが減少することは有り得ない。また、カリフォルニアのサンフランシスコでは、「manalive」というサービスが提供するプログラムによって、DVに関し悩みを抱えている男性が集まり、集団の力を使ってこれを克服しようとしている。
 また、「learning to live without violence −A HANDBOOK FOR MEN−」は米国の非暴力プログラムのワークブックとして使われているものである。そのなかで興味深いのは、暴力を振るわなくなる方法についての記述である。怒りがこみあげてきたり、テンションがあがり爆発しそうになったり、欲求不満を感じたり、コントロールできなくなったりしたときは、自分自身と妻や恋人にむかって大きな声で「I’m beginning to feel angry and I need to take a Time-Out.」と言うのだそうである。そして1時間ほど家を離れ散歩や運動をすることで、精神的にも肉体的にも小休止できるという訳である。帰宅後、冷静になって、なぜtime-outしたのか妻や恋人とお互い話あうことで、自己の情緒的な問題に気づくこともできるし、相手との信頼を再構築することができるのだそうである。もっとも、この Time-Outの手法を使うときは、事前に妻は恋人にその旨伝えておく必要があることは言うまでもない。
 一方、わが国では、1999年に「男の非暴力グループワーク」が結成され、全国各地でグループワークが行われている。その内容は、週1度の6週間コースで、一例を挙げると、第1回「出会いのグループワーク−お互いを知る、自分を知る−」、第2回「感情を伝える(その1)−自分の感情を知る−」、第3回「感情を伝える(その2)−感情を言葉で表す−」、第4回「感情を伝える(その3)−見方を変える−」、第5回「行動を変える−暴力を振るわずに暮らす−」、第6回「新しい自分へ−豊かなコミュニケーション能力を養う−」となっている。グループワークであることから、自分の暴力に焦点をあて、まず自己を語ることから始め、エゴグラムを使って自己分析したり、夫婦の会話を想定したアサーショントレーニングなどを実施する。それぞれのワークは独立しているように見えるが、男の暴力に焦点が合わせられていることから、参加者は日常の自己を再点検できるだけでなく、自己の暴力体験を客観的に見つめなおすことができるようになっている。また、2001年には「日本DV加害者プログラム協議会」が発足し、米国カリフォルニアの実践例を参考に、暴力のサイクルを絶つためのプログラム「BTC−ブレイクング ザ サイクル プログラム」が開発された。
 さらにDVに対する法的整備としては、従来、夫からの暴力は「夫婦喧嘩」としてほとんど取りあげられることがなかったが、2001年に「配偶者暴力防止法」が施行され、配偶者(事実婚を含む)からの身体的暴力は、犯罪であるという認識が広まった。この「配偶者暴力防止法」は、通報、相談、保護、自立支援の体制整備や保護の取組みを定めている。さらに2004年には、被害者の保護のさらなる実質化をめざし、①配偶者からの暴力の定義を拡大 ②保護命令制度拡充 ③被害者の自立支援に関する規定を明記 ④その他、苦情処理や外国人、障害者等への対応について明記した。



おわりに

 これまでDVの防止について指導的な役割を果たしてきた米国のシステムを概観したが、わが国においてはいまだ、家族間での人権意識は著しく乏しく、コミュニティでDV被害者の対応ができるほどの公共性も存在しない。その一方で近時、一部の政治家が提唱しているコミュニティや家族の再生は、明らかに旧態依然とした父権を中心にした家族制度をイメージしている。このような状況下において、すでにいくつかの施策がなされているとはいうものの、DVを含め本来の意味での家族内の人権擁護をはかるには、まだまだ時間が必要であろう。
 近ごろの新聞報道などを見るにつけ、今までは考えられなかったような家庭内での殺傷事件が頻発している。そこで、DVを妻や恋人だけでなく家族内の暴力と広くとらえ場合、加害者の更正も無論大切な要素であるが、それにもまして必要なのは、旧来の道徳観を前面に打ち出した家族制度の再構築ではなく、未来の世代に対しDVの起こらない教育を施すことではないのだろうか。その意味で今後、学校での人権教育にDVの問題が含まれるよう政策誘導することが重要な課題となろう。

大学職員の専門性を論ずるまえに

 91年の205万をピークに、18歳人口は右肩下がりに減少し続け、国立社会保障・人口問題究所の将来予測によれば、2050年には80万人程度になると推計されている。その一方で、4年制大学の数は年々増加の一途を辿っている。この10年間を見ても、大学数は28.5%、161校も増加している。これに対し、入学者数の伸び率は6.2%、35,184人増に過ぎず、需要と供給のアンバランスが年々進行していると言ってよい。
 この高等教育、特に4年制大学における需要と供給の関係は、供給源としての18歳人口を主な市場とし、各大学がそこからパイを分けあうことで、これまでバランスよく調整されてきた。
 しかし、高等教育がユニバーサル化した現在、政策によって進学率の調整や高等教育の規模を抑制し、その質の維持・向上をはかる段階ではなくなってしまった。今や「質の維持」はあらたな装置に委ねられ、規制緩和による自由競争のもと、各大学がいかに学生を確保するかという経営戦略の側面がとりわけ重要視されるに至っている。いわば、来るべき知識基盤社会における高等教育の役割などという高邁な理想ではなく、明日の糧を得るため、量の問題としてどう学生を確保するかが最優先していると言ってよい。
 そしてこのような状況を背景に、これまで混沌としていた経営と教育・研究との関係を整理し強化するため、教員と職員の役割分担をはかり、両者が協働できる関係を構築しようとする文脈から「職員の専門性」という問題が取り上げられ、注目されるようになったのである。
 その後、この職員の専門性を軸として、アドミニストレーターの必要性、大学経営人材の養成などが盛んに議論され、これらの者を養成する大学院が設置されるようになったが、未だ「専門性を持った職員像」についての共通認識が存在している訳ではない。まして今後、職員の専門性が機能ごとに分化してゆく過程では、モビリティを前提とした、各専門領域における共通のジョブ・ディスクリプションも必要となるだろう。さらにその流れは、専門領域ごとに、全国規模の学会活動へと展開していくものと思われる。
 ところがこの「職員の専門性」については、議論が「はじめに専門性ありき」という「性善説」から始まっており、一部で議論されてはいるものの、例えば、①なぜ職員の専門性が必要なのか、②専門性とは何なのか、③専門性を持った職員を従来の枠組みの中でどう位置づけるのか、④すべての職員が専門性を持つ必要があるのか、⑤職員が専門性を持つことが職員の教員化に繋がる恐れはないのか(実務家なのか研究者なのかと言う問題)、⑥わが国におけるアドミニストレーターとは教員なのか職員なのか、それとも教員でも職員でもない新たな存在なのか、といった今後の職員論の前提となるべき諸問題についての議論が充分になされているとは言い難い。
 今後、大学職員のモデルをいずれの国の大学に求めるにせよ、わが国の大学の更なる発展とその質の維持・向上という観点からは、専門性を持った職員が教員と対等の立場で大学における諸活動に参画することは必要不可欠である。そのためにはセンセーショナルな議論よりもむしろ、基本的な諸問題への十分な検討をとおして、「専門性を持った大学職員のモデル」を提示することこそが、今、我々に求められているのではないか。

石畳の下は砂浜だ


 1968年。フランスで学生反乱が起り、世界中の大学へと波及していった。ことの発端は1966年、ストラスブール大学で起こった大学当局に対する民主化要求運動に他ならなかった。しかしこの運動は、当時のド・ゴール政権がベトナム戦争へ加担したことへの反対運動と結びつき、さらに、パリ大学の学生自治民主化運動へと展開していった。
 彼らの発したスローガンは、「石畳の下は砂浜だ」(Sous les pav'es,la plage)というものだった。学生たちは大学を占拠し、学生街であるカルチェラタンの敷石をはがし、バリケードを築いたのである。街の石畳の敷石をはがしたあとに現れた砂地に、彼らは限りない自由を想像したのである。この動きにフランス全土の労働者が呼応し、戦後最大規模のゼネストに突入した。事態の収拾をはかるため、ド・ゴールは議会を解散し総選挙を行っただけでなく、労働者の団結権ばかりか、大学の民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生であることを法的に認めざるを得なくなったのである。
 新世代の台頭。これを「20世紀のルネッサンス運動」という者もいる。新しい社会を市民が想像し、それを実現していく。「想像力が権力をとる」というラジカルな発想は、21世紀には「市民知」とかたちを変え、今後の市民社会への発展にむけて大きな力のひとつとなるであろう。(写真はBruno Barbey氏による)