大学職員の専門性を論ずるまえに

 91年の205万をピークに、18歳人口は右肩下がりに減少し続け、国立社会保障・人口問題究所の将来予測によれば、2050年には80万人程度になると推計されている。その一方で、4年制大学の数は年々増加の一途を辿っている。この10年間を見ても、大学数は28.5%、161校も増加している。これに対し、入学者数の伸び率は6.2%、35,184人増に過ぎず、需要と供給のアンバランスが年々進行していると言ってよい。
 この高等教育、特に4年制大学における需要と供給の関係は、供給源としての18歳人口を主な市場とし、各大学がそこからパイを分けあうことで、これまでバランスよく調整されてきた。
 しかし、高等教育がユニバーサル化した現在、政策によって進学率の調整や高等教育の規模を抑制し、その質の維持・向上をはかる段階ではなくなってしまった。今や「質の維持」はあらたな装置に委ねられ、規制緩和による自由競争のもと、各大学がいかに学生を確保するかという経営戦略の側面がとりわけ重要視されるに至っている。いわば、来るべき知識基盤社会における高等教育の役割などという高邁な理想ではなく、明日の糧を得るため、量の問題としてどう学生を確保するかが最優先していると言ってよい。
 そしてこのような状況を背景に、これまで混沌としていた経営と教育・研究との関係を整理し強化するため、教員と職員の役割分担をはかり、両者が協働できる関係を構築しようとする文脈から「職員の専門性」という問題が取り上げられ、注目されるようになったのである。
 その後、この職員の専門性を軸として、アドミニストレーターの必要性、大学経営人材の養成などが盛んに議論され、これらの者を養成する大学院が設置されるようになったが、未だ「専門性を持った職員像」についての共通認識が存在している訳ではない。まして今後、職員の専門性が機能ごとに分化してゆく過程では、モビリティを前提とした、各専門領域における共通のジョブ・ディスクリプションも必要となるだろう。さらにその流れは、専門領域ごとに、全国規模の学会活動へと展開していくものと思われる。
 ところがこの「職員の専門性」については、議論が「はじめに専門性ありき」という「性善説」から始まっており、一部で議論されてはいるものの、例えば、①なぜ職員の専門性が必要なのか、②専門性とは何なのか、③専門性を持った職員を従来の枠組みの中でどう位置づけるのか、④すべての職員が専門性を持つ必要があるのか、⑤職員が専門性を持つことが職員の教員化に繋がる恐れはないのか(実務家なのか研究者なのかと言う問題)、⑥わが国におけるアドミニストレーターとは教員なのか職員なのか、それとも教員でも職員でもない新たな存在なのか、といった今後の職員論の前提となるべき諸問題についての議論が充分になされているとは言い難い。
 今後、大学職員のモデルをいずれの国の大学に求めるにせよ、わが国の大学の更なる発展とその質の維持・向上という観点からは、専門性を持った職員が教員と対等の立場で大学における諸活動に参画することは必要不可欠である。そのためにはセンセーショナルな議論よりもむしろ、基本的な諸問題への十分な検討をとおして、「専門性を持った大学職員のモデル」を提示することこそが、今、我々に求められているのではないか。